タイトルを見てSUPER BEAVERが浮かんだ方、共にツアーに行きましょう。
はてさて、自分らしさ、ってなんでしょう?
有難いことに言葉遣いが好きだと言ってもらえたり、どうしたらそういう文章を書けるようになるのか?なんて勿体無いくらいの質問を頂戴したりなんかしちゃったりすることがあったりしちゃいます。(至極稀に)
その度に、あの文章のどこがわたしらしいの?わたし以外わたしじゃないの?という気持ちになります。
特段本を読むわけでもなく、雑誌を読み漁るわけでもなく、他のライターさんの表現を真似ているわけでも(人様の素敵な表現方法を真似たところで自分の文脈に上手く当てはめられずその部分だけ浮く為)ないです。
ただひとつだけ言えるのは、楽曲自体の説明(例えばソリッドとかエッジの効いたとかポップでキュートなセカオワメロディとか)ではなく、「どう伝えればこの曲に興味を持ってもらえるか」ということに重きを置いているなぁと思います。
このご時世、ワンクリックさえすれば好きな時に好きな音量で好きな音楽が聴ける時代です。その指先のワンアクションを起こすために、自分は音楽に対してどんな手伝いができるか?と言えば、「興味を持たせること」以外無いと思うのです。聴いてもらいさえすればそこでお終い。そこからは聴き続けるも止めるも、聴いた本人の判断です。言ってしまえば、わたしは好きな音楽に対してそこまでの手伝いしか出来ないのです。
とはいえ、わたしの必殺技である「読み易さに特化した抽象的な文章」が必ずしも良いとは思っていません。例えばディスクレビューならばその楽曲がどういう楽曲なのかを説明することが大前提ですし、わたしのやり方だと解釈を読み手に多く委ねることになるので、「バラードだと思ったのにまさかのツービートかい!」という誤解も生まれかねないからです。必要最低限の情報や事実をきちんと伝えた上で、そこにどれだけ自分の解釈を乗せられるか。
バランスって難しいなと思います。
例えば、My Hair is Badの『時代をあつめて』について書いたこちらの文章
曲説明、0。メロディなんてワンフレーズも浮かんでこない。
そういう点では駄作だと思います。そう言われても反論の余地がないです。
けれどこういう形もアリなのかな?と最近は思うようになりました。というより、自分はこの先もこういうテイストの文章しか書けないのだろうなと思います。
自分らしさに手を加えて色が変わるまで磨いて武器にするのもひとつの手かもしれませんが、結局のところ自分が自然体で生み出せるものが一番心地良いし、後々可愛がれるのだと思います。
まあ当たり前ではありますが。
人から指摘された「自分らしさ」を、自分自身が誰よりも愛せたら無敵だと思います。
あれ、こんな歌詞があった気がする。
そんな目に入れても痛くないような、愛すべき文章をたくさん書いていけたらいいなぁと思う今日この頃です。
かしこ